本日は少し古いスケート雑誌のご紹介です。
雑誌「スケート」昭和27年11月15日発行の雑誌で、編集人兼発行人は両角政人さんという方です。編集後記のなかに、「はなはだせんえつな考え方かも知れませんが、このスケートをもって、スケート界に多少の意義あらんことを期している次第です」とありますが、調べてみるとまさにこの時期昭和27年頃というのは、この前年26年に神奈川スケートリンクと後楽園アイスパレスが相次いで開業し、大阪にもナンバスケートリンクがオープンするなど、戦争で一時的に壊滅状態となった日本のスケート界が再び活気を取り戻そうとしていた時期だったようです。
なんとも手作り感満載の、ちょっとほっこりする雑誌ですが、表紙をめくるとすぐにCCMスケート=ミヤコ・スポーツさんの宣伝が目に飛び込んできました。
さらにその下には、「誰でも知ってるスピードスケート発売さる」というキャッチコピーとともに、ハーゲン・スケートとグレスビックNo.1スケートが紹介されています。うーん、昔のスピードスケートのことは詳しくありませんので、今度弊社の生き字引、藤谷さんに詳しく話を伺っておきます。
次のページに移ると、ありました!!オープンしたばかりの後楽園アイスパレスの広告です!アイスパレスの外観がイラストで紹介され、その下には「絶好の氷質と優秀な貸靴!」というコピーが。外観もいまのスケートリンクより重厚感があってカッコいい気がします。調べてみたら、それもそのはず!当時の後楽園アイスパレスは、いまの東京ドームシティー黄色いビルが建っていたあたりにあり、「建築資材入手困難なため、海軍格納庫を解体・移築して建設した物件」とのことです!当時の内部の様子が写真に残っていますが、ちょっとダンスホールみたいな感じで、荘厳な佇まいだと思います。フェンスがないようですが、できればこんなリンクでホッケーしてみたかったです。
雑誌「スケート」には、日本の復興期のスケート界の様子を紹介する記事が沢山出ており、とても興味深い内容となっております。まだ機会があればとりあげてご紹介していきたいと思います。